テクラ・バダジェフスカ (1834-1861) Tekla Bądarzewska-Baranowska
Tekla Bądarzewska-Baranowska
テクラ・バダジェフスカ=バラノフスカ(Tekla Bądarzewska-Baranowska、1834年/1838年 - 1861年9月29日)は、ポーランド出身の女性作曲家・ピアニスト。生年を1834年とする説と1838年とする説がある。日本では一般に、テクラ・バダジェフカとして知られるが、ポーランド語に近い表記はボンダジェフスカである。また、バダルジェフスカと表記されることもある。
バダジェフスカは、本格的な音楽教育は受けていないが、18歳(17歳とも)の時に作曲した『乙女の祈り(仏語:La priere d'une vierge)』がパリの音楽ニュース雑誌に掲載され、その名が知られるところとなった。この曲を作曲したのち、結婚し5人の子供をもうけたとされる。そのほか小品を35曲ほど作曲したのち、1861年、病弱のために23歳(27歳?)ほどで夭折。
彼女に関する作品や資料については第二次世界大戦等により大半が消失したため、現在では『乙女の祈り』以外はほとんど知られていない。特にポーランドでは認知度が低い。これは「祈り」という言葉が、共産圏の影響下にあったポーランドで不適切とみなされたためとの見方のほか、音楽に高い芸術性を求められた時代、音楽教育を受けていないこの『少女』に対して、「浅薄な素人くささを超えられなかった」と、19世紀の音楽事典が酷評したことからも、当時の「偏見」の存在を理由とする見方もある。
彼女の『乙女の祈り』は、明治時代に、ピアノ教本と共に楽譜が持ちこまれ、日本に伝えられて以来、ピアノ経験者によく知られるのみならず、オルゴール曲の定番として、日本で広く愛されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』