リッカルド・ドリゴ (1846-1930)
Riccardo Eugenio Drigo
リッカルド・エウジェニオ・ドリゴ(Riccardo Eugenio Drigo, 1846年6月30日 パドヴァ - 1930年10月1日 同地)は、イタリアのバレエ作曲家、指揮者。ロシア・サンクトペテルブルクの国立バレエ団(Imperial Ballet)のカペルマイスターおよび音楽監督としての長いキャリアで知られる。
ドリゴはパドヴァで家族の友人Antonio Jorichに音楽を習った後、ヴェネツィアの音楽学校でアントニオ・ブッツォーラ(ガエターノ・ドニゼッティの教え子)に師事した。彼はピアノ教師を務め、また故郷で作曲家・指揮者として成功を収めた。
1878年にドリゴはロシアへ移住し、この地で40年以上を過ごすこととなった。1879年、彼はサンクトペテルブルクでイタリア・オペラの指揮者に任命された。1886年に彼はこの地位を辞して、国立バレエ団の指揮者・作曲家の地位に就いた。彼はロシアで最先端のダンサーや振付師たち(マリウス・プティパ、レフ・イワノフら)と共に活動した。彼が最初に指揮したのはチャイコフスキーの『眠れる森の美女』と『くるみ割り人形』であった。1899年、彼はプティパ振り付けのバレエ『海賊』(Le Corsaire, サンクトペテルブルク、1899年)第二幕の有名なパ・ド・ドゥの音楽を作曲した。ドリゴ自身が作曲を行った作品もまた有名なものであった。1900年に初演されたバレエ『百万長者の道化師』(Les Millions d'Arlequin)は、国際的な名声を得ることとなった。
ドリゴは自主的に亡命のような状態に身を置いたものの、時折はイタリアを訪れ続けていた。最終的に1920年、彼はロシア革命後のロシアに身を置けなくなり、パドヴァへと戻った。その後、地元の劇場のためのバレエ作品を数作作曲している。1930年、故郷パドヴァにて逝去。84歳没。
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